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見よ

劇場の上空を夥しい悪霊の群が全速力で通過する

あれら淫らな翼に羽毛の最後の煌めきを与えたのが誰であるか

お前は知っていたか

ベアトリーチェよ

——『小鳥の肉体』——

貴女は忘れたわけではないだろう

私と交わし合ったあの夜の甘美な絆を

誰が忘れるものか

あれほど恍惚とした至福を

私の体に与えた女神を  ——『貴族的時間』——

「古典」は愛の狂乱の中でしか生まれ得ない

 生きよ最後の貴族よ

  ——『貴族的発情』——

ああ 官能のクピドを何億と生成させる

ひとでなしの薔薇よ

馥郁たる香りを放つ神殺しの薔薇よ

それが君だ

なんと

ああ なんと愛らしい唇

なんと淫らに動く甘い舌

——『クピドたちの饗宴』——

「親愛なるフィラレート、

僕は知ったのだ。

全ての探求の末に光り輝いている

愛という名の太陽を」

——『愛のディアレクティケー』——

その大胆すぎるガーターと

ポンパドゥール夫人が見たら卒倒しそうなほど優美な君の肢体

首には僕のイニシャル《T.S》が刻まれた

朱色の首輪をつけて

——『クピドたちの饗宴』——

しかしスカートを完全に脱ぎされば

君の魂は爵位を永遠に失うのだ

着衣と裸体の間で永遠に男たちを誑かせよ

——『君のスカートとその内なるイメーヌ』——

「救い出す」ということは

他者が暗い水に沈み込みそうになっているのを見て

全力で有無をいわせずに「掬い上げる」ということなのだ

​——『もし君が水死しようものなら』——

僕らは今

神々の愛の神殿に最も近い場所にいる

——『ねえ君 僕と踊ろう』——

首都大学東京(フランス語圏文化論)准教授で日本を代表するデリダ研究者の西山雄二先生がTwitterで紹介して下さいました!

 これらの詩は、ひとつひとつが私にとって薔薇である。全ての薔薇は微妙に色合いが異なっている。その花言葉にもあるように、中には官能色の強いものもあるだろう。だが、こうして同じテーマ系のもとに二十三篇の詩を集結させると、グラデーションが少しずつ異なる、言語的な「薔薇苑」の様相を呈するのではないかと感じられた。

 詩集のタイトルにフランス語で薔薇苑を意味するRoseraieを冠したのは、まさに以上のような理由に拠っている。

——鈴村智久——

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